自分と他人の境界線
心理カウンセリング Prado(プラード)さんのコラムを見て、自分の心や考え方が非常にスッキリしました。 まず最初にこの記事に沿って、自分の言葉で少し書きたい。
関心と選択の輪
今まで二十数年生きてきて、このことを整理できていなかった気がします。 そして、関心の輪と選択の輪の境界線が非常にあいまいになっていたと思う。
アメリカ大統領選挙に関心をもつことはできますが、選挙権のない日本人には選択できません。
今日の天気に関心は持てますが、選択することはできません。
これを最初に読んだとき、ハッとしました。意味を考えれば当たり前のことですが 自分では、選択することができないことに関して選択しようとしていたことが多々ありました。
あぁ、自分は天気を選択しようとしてたのか・・・
境界線/選択の輪をより明確にする三つの要素
①責任、②限界、③価値観
責任は、私たちの心にとって、筋肉を増やしてくれるダンベルのような役割があります。
ダンベルを上げ下げするのはきついかもしれませんが、その時々に合った負荷をかけないと、体と同様に心の筋肉はつきません。
これ、とてもいい言葉だと思いました。
責任は心のダンベル。責任と聞くと、どうしてもネガティブなイメージを持ってしまっていました。 とくに仕事していたときとか。 仕事以外でも何かをするときは、失敗したら責任とらなきゃ、とか自分でいったからには責任を、とか 結婚したら、相手を幸せにする責任がある、子供を生んだらきちんと育てる責任がある そしてその自信がないから自分にはどうやっても無理だ。なんていつも考えていました。 これも境界線があいまいになっていたが故ですね。
心のダンベル、と聞くと少しポジティブなイメージが持てます。 ガチの筋トレはしたことはありませんが、体を鍛えるというのはとてもいいことだと思っているので
心も体に応じて鍛えてあげないとダメだなと。 そして、責任が怖くていろいろと逃げ続けていた自分は全然心が鍛えられていなかったな。
筋トレしてる人が、上半身はムキムキなのに足は細々みたいなアンバランスだったかな。
責任をポジティブなイメージと捉えて、体も心も徐々に鍛えていきたい。
困っている方が動く
買ったお皿にひびが入っていた、その時じっと待っていてもそのお皿が良品に化けることはありません。
本当当たり前のことなのに、心のそこでは困っているから、自分はつらい思いしてるから なにもせず何とかならないだろうか、とか思っていたかもしれません。
そしてうじうじ悩むのをいつもしてしまいます。
「これは自分が選択できることか?」を自分に問う習慣
選択の輪を意識、自分ができることできないことを明確にする。 他人の選択を自分が選択できると思ってしまうことがとてもある。
そのときは、 「あぁ、自分は天気を選ぼうとしちゃっているんだな。なんで雨なんだ!晴れにしてやる!って思ってるんだな。そんなことだれにもできないよ」 って思うようにします。
そして他人の選択といっても、(一般的に)いいこと、悪いこと両方あることをちゃんと理解しておきたい。
自分にとって不快と思うこと、たとえば私に向かって「それは違う」といわれたならば あぁ、この人は自分の価値観に沿ってこれを選択したんだな。と思えるかもしれませんが
その人の幸福や健康、と考えると「いいことなんだから自分がしてあげていることは相手のためになってる」と無意識に思ってしまっていました。 どの状態が幸せか、健康か、もその人の価値観できまるものですね。
(一般的に)いいことだからしてあげれば相手も幸せ、悪いことだから相手の選択ではなく いいこともわるいことも、良くも悪くもすべて相手の選択なんだと常日頃から理解していたいと思います。