脱・白黒思考

仕事辞めたニートが人生を見つめ直します。

再就職

再就職してから半年くらい経ちました。

結局1年くらいニートしてました。

結果的には何か決意をもって転職をする、ということにはなりませんでした。

イムリミットが来てしまって仕方なく、探し始めました

またまた無難な選択をしようと、転職先を探してしまいました。

新卒のときと同じですね

そして、知らない土地に引っ越して、転職先で働いて、一人で生きています

自分がしたことは選択の先延ばしに過ぎない

仕事は半年目にして早くも、どうしたものかという感じですね
精神状態は、前職のときと同じような気がします

少しは変われたのかなぁ

生きるうえでの心構えを変えようと、意識してきたつもりでしたが
なかなか難しいものですね

このまま時間だけ過ぎていって、後悔しない?

自分の人生なんだよなぁ

2018年の目標

自分を大切にする

まずは、これを目標にしたいと思います。
いままで20数年できていなかったので、道は険しいかもしれません。
でも去年の自分よりも少しだけでもいいから自分を大切にできれば良いと思います。

自分を大切にし、自分の価値観を大切にする。
その結果、他人の価値観を尊重できるようになるし、他人を尊重できるようになると思う。
そうすれば人とのコミュニケーションもいい感じになるんじゃないかな。

  

自分の価値観や信念をはっきりさせる

これは、1年でどうこうなるものではないと思います。
この先生きていくうえで自分の核となる部分です。
何を大切にしたいか、何が好きなのか嫌いなのか。常日頃から意識するようにして
何のために生きるのかを明確にしたいと思います。

別に立派な目的じゃなくても良いと思う。何に心を込めるか。

人を笑顔にすることでもいいし、おいしい料理を作る・食べるでもいいし
世の中を便利にする仕事をする、でもいいし、家族を大切にするでもいいし
どんな小さいことでも大きいことでもいい、これに気づきたい。

  

就職して年内いっぱいとりあえず働く

前職を辞めて半年以上経ちました。半年ニートしています。
この間、たくさん休み、いろいろ考えることができました。
いままで20数年生きてきた経験を改めて振り返ることができ
また、生き方・心持ち心構えについてももう一度考えるきっかけができました。
今の自分を客観視し、過大・過小評価せず、今の自分にできることをやる。
新しい会社を見つけて、また少しずつ頑張りたいと思います。
といってもあと30年先まで働くとか考えると、いろいろと不安になってしまうし
まずは年内、そして1年間って風に考えています。

おいしいものを作る・食べる

去年の12月くらいから、ほぼ毎日自分でちゃんとしたご飯をつくるような習慣が続いています。
これまで一人暮らししてきてこんなに自炊が続いたのは初めてです。
今までもつくることは多々あったけれど、どうしても手抜きなメニュー、すぐできたり
手間がかからないものばかりつくっていました。(チャーハンとかカレーとか鍋とか)

きっかけは「クラシル」っていう料理レシピです。
おいしそうなメニューがたくさんあって、なおかつ調理手順が短い動画で
簡潔に・おいしそうにまとまっています。
それも、どのメニューも同じ粒度というか同じポリシーでまとめられているのが
とても良いです。

  

料理レシピのサイトだと、クックパッド等昔からありますが
どうしても投稿型サイトだと、人によって写真の取り方も違うし
レシピのまとめかた、分量等も違うし参考にはなるけど
毎日、何をつくろうかなと見たときにパッと自分の欲しいレシピが
手に入らなかったなと思います。

  

最近は、スーパーにいったらクラシルのレシピでおいしそうなメニューをみつけて
食材を買ってつくるのが日課です。

アプリひとつで人の習慣を変えちゃうなんてすごいなと思います。
「ITを駆使して身近な生活を便利にする」っていうことは
もしかしたら自分の使命にあっているのかもしれないな、と料理・クラシルのアプリを
通して気づきました。
この辺はもう少し時間をかけて、考え続けていきたいです。

  

おいしいものを作る・食べるってことがこんなに幸せなことなんだと気づくことができたのは
仕事やめて時間ができたおかげです。
できれば働き始めても料理をつくる習慣がなくならないよう続けていきたいです。

  

ITスキルの見直しと向上

いままでたくさんの本を読んできたけど、真に体に身についているものは
本当に少ないと思います。
もう一度見直し、いまの自分にできることをコツコツ続けたい。

現在は、パタヘネ本を読んでいます。(コンピューターの構成と設計)
あとは、ネットワーク周りの基礎と応用
セキュリティ周り(暗号化の技術等)
Linuxの知識
データ構造とアルゴリズム
数学(線形台数)

この辺を少しずつ復習したいと思います。
次の仕事にITを選ばなかったら趣味程度で細々続ける感じでしょうか。


  

180度開脚をできるようにする

これも去年の11月くらいから、ずっと続けています。
180度開脚して胸をぺたーっと床につけられるくらい体をやわらかくする。これが目標です。
現在は、開脚して前屈すると肘部分がつくかつかないかくらいです。まだまだ先は長い。

もともと身体はすごくかたくて、はじめたばかりの頃は開脚すらできませんでした。
開脚ができないというか、座った状態で脚を開けない、開こうとすると後ろに倒れてしまう。
頑張って開けても50度くらいの角度。前屈なんてもっての他。
そもそも腰痛がひどくて、床に座ること自体が非常に苦です。
家にいるときは基本椅子ですし、座るときは正座が一番楽です。

ストレッチを1ヶ月以上続けていると腰痛も少し楽になっているのに驚きました。
ごみを拾ったりする前かがみの動作が本当につらかったのですが
多少痛みが軽減されました。

できたら、さらに柔軟性を高めて、腹筋背筋、体幹を鍛えることができれば
腰痛も軽減されて日常生活もよくなるんじゃないかなあと思います。

体幹トレーニングは昔やってましたが、一日40~50分かかってしまうので
なかなか続けるのが難しいですね。

  

  

少しでも目標達成できるよう、日々心を込めていきたいと思います。

自分と他人の境界線

心理カウンセリング Prado(プラード)さんのコラムを見て、自分の心や考え方が非常にスッキリしました。 まず最初にこの記事に沿って、自分の言葉で少し書きたい。

prado-therapy.com


関心と選択の輪

今まで二十数年生きてきて、このことを整理できていなかった気がします。 そして、関心の輪と選択の輪の境界線が非常にあいまいになっていたと思う。

アメリカ大統領選挙に関心をもつことはできますが、選挙権のない日本人には選択できません。

今日の天気に関心は持てますが、選択することはできません。

これを最初に読んだとき、ハッとしました。意味を考えれば当たり前のことですが 自分では、選択することができないことに関して選択しようとしていたことが多々ありました。

あぁ、自分は天気を選択しようとしてたのか・・・     


境界線/選択の輪をより明確にする三つの要素

①責任、②限界、③価値観

責任は、私たちの心にとって、筋肉を増やしてくれるダンベルのような役割があります。

ダンベルを上げ下げするのはきついかもしれませんが、その時々に合った負荷をかけないと、体と同様に心の筋肉はつきません。

これ、とてもいい言葉だと思いました。

責任は心のダンベル。責任と聞くと、どうしてもネガティブなイメージを持ってしまっていました。 とくに仕事していたときとか。 仕事以外でも何かをするときは、失敗したら責任とらなきゃ、とか自分でいったからには責任を、とか 結婚したら、相手を幸せにする責任がある、子供を生んだらきちんと育てる責任がある そしてその自信がないから自分にはどうやっても無理だ。なんていつも考えていました。 これも境界線があいまいになっていたが故ですね。

心のダンベル、と聞くと少しポジティブなイメージが持てます。 ガチの筋トレはしたことはありませんが、体を鍛えるというのはとてもいいことだと思っているので

心も体に応じて鍛えてあげないとダメだなと。 そして、責任が怖くていろいろと逃げ続けていた自分は全然心が鍛えられていなかったな。

筋トレしてる人が、上半身はムキムキなのに足は細々みたいなアンバランスだったかな。

責任をポジティブなイメージと捉えて、体も心も徐々に鍛えていきたい。


困っている方が動く

買ったお皿にひびが入っていた、その時じっと待っていてもそのお皿が良品に化けることはありません。

本当当たり前のことなのに、心のそこでは困っているから、自分はつらい思いしてるから なにもせず何とかならないだろうか、とか思っていたかもしれません。

そしてうじうじ悩むのをいつもしてしまいます。


「これは自分が選択できることか?」を自分に問う習慣

選択の輪を意識、自分ができることできないことを明確にする。 他人の選択を自分が選択できると思ってしまうことがとてもある。

そのときは、 「あぁ、自分は天気を選ぼうとしちゃっているんだな。なんで雨なんだ!晴れにしてやる!って思ってるんだな。そんなことだれにもできないよ」 って思うようにします。

そして他人の選択といっても、(一般的に)いいこと、悪いこと両方あることをちゃんと理解しておきたい。

自分にとって不快と思うこと、たとえば私に向かって「それは違う」といわれたならば あぁ、この人は自分の価値観に沿ってこれを選択したんだな。と思えるかもしれませんが

その人の幸福や健康、と考えると「いいことなんだから自分がしてあげていることは相手のためになってる」と無意識に思ってしまっていました。 どの状態が幸せか、健康か、もその人の価値観できまるものですね。

(一般的に)いいことだからしてあげれば相手も幸せ、悪いことだから相手の選択ではなく いいこともわるいことも、良くも悪くもすべて相手の選択なんだと常日頃から理解していたいと思います。

生き方を見つめなおす

思えば、子供の頃からその傾向がありました。

白黒思考や完璧主義といわれる考え方に苦しんでいました。

記憶がはっきりと残っているのは小学4年生くらいからで

そのころから、周りの目を気にしたり、こうあるべきといった”べき思考”の土台が 徐々に形成されて、気づけば20代の自分を今でも苦しめ続けています。

学生時代は、それでもなんとかやり過ごせていたと思います。 基本的には、嫌なことからは目を背けて見ていないふりをしたり 無理だと思うことからは、すぐに逃げて傷つかないように徹したり

その上で、社会的な評価に関わりそうな部分は最低限こなすことを意識していました。

大学受験だったり、就職活動だったり。 決して高望みはしないで、平均くらいとか平均ちょい下くらいで 必死に努力することはしてこなかったと思います。

社会人になってからも、新人の間はそれほど大変じゃなかったと思います。

人の顔色を伺うというか、相手がどんなことを求めていそうなのかを 想像するのは昔から得意だったので、手のかからない新人ってのが 周りからの評価でした。

新人の期間も終わり、自分が担当する仕事が増え、人をまとめたり 顧客とやりとりをしたり、つまりなんでも自分でやらなきゃいけない状況に なってきたあたりで心への負担が増えていきました。

自分ではどうしようもできないことがこんなにもあるんだなと絶望しました。 今までたいていのことは、なんとかできたし、もしくは完全に無理なことからは 最初から逃げていたので、本気でどうしていいか分からない状況になったのは 初めてでした。

若いうちに失敗や挫折を経験しておいたほうがいい、というのはその通りです。

毎日やらなきゃいけない業務がありすぎて、それも消化する間もなく 次のやらなきゃいけないことがでてきて、プロジェクトメンバーへの 質疑対応や業務量の調整や全体スケジュールの調整などなど 完全にキャパシティーオーバーでした。

次第に何かを考えようとすると頭がぼーっとしてきて、思考することができなくなっていました。

そして、完璧主義の性格も相まってうまくできない自分が本当に本当に受け入れられなくて 周りからの目もつらくて、結局逃げるように会社を辞めました。

辞める時は、体のいい言い訳をいろいろと並べましたが、 本当にただ逃げたいだけでした。

今は辞めて数か月たちますが、これからの生き方について 見つめなおし、ここに記していきたいと思います。